片づけは、未来の私に優しくすること。 片づけとは結局、モノの居場所を作ること。
片づけとは結局、モノの居場所を作ることです。
若者の気持ちや歌にもよく、「居場所がない」という言葉が出てきますが、
これがモノにも当てはまる。
(ちょっと違いますが。(笑))
部屋が散らかるというのは、とりあえずモノが、使った場所の近辺に置かれ、フラフラとさまよっている状態です。
目に入れば、散らかっていると邪険にされ、
必要な時には、見つからない、と役立ててもらえない。
モノがとても可哀想な状態、
それが散らかっている、ということかも知れません。
まずモノを、自分がそれを使いたいと思ったとき、「一番最初に探す」ところに戻します。
えー、だからと言って、そのへんの机の上。
(ついこの間まで、そこにあったから。)
というのはおススメしません。
まだ明確な置き場が仕切って作られていない状態でも、
とりあえず一応、文房具置場とか、台所用品とか、
それ系の集団が入っている場所ぐらいにしておきましょう。
片づけは、優しさ、かもしれません。
もの一つ一つを自分の分身、ぐらいに考えて、居場所を作ってあげる。
そうすると、モノも持ち主に答えてくれるのだそうです。
「ハサミになった気持ちになって」、と言えば、
どっかの劇団の芝居の練習みたいですが、(笑)
まあそんな気持ちになって、ゆっくり居場所で休んでみる気持ちになってみるのもいいかも知れません。
(なったことありませんが。(笑))
さて、モノが一つ一つ、あるべき場所に落ち着くと、
持ち主である私達も、家の中でのあらゆる行動が素早くなり、多くの時短につながります。
忙しいとき、苦しいとき、
私達のちょっとした未来には、バタバタした瞬間が待ち構えていて、気持ちを逆立てます。
その時、「お手伝いしましょうか?」と言ってくれるのが、過去の自分。
片づけて、あるべきところにモノをしまい、居場所を明確にして、
バタバタして時間のない時の自分を救います。
探す余裕のないときに、必要なモノをそっと差し出す。
その仕組みを作れるのは、今の自分しかいません。
外科手術の時、「メス」、「ガーゼ」…、と必要なものが次々と差し出されて、最短時間で終わるのは、
差し出す人がいるからです。
普通の主婦に、「包丁」、「トマト」…、と差し出す助手はいませんが、(笑)
今の自分が、未来の自分に差し出すことはできます。
まず、自分自身が自分の味方であること。
自分だけは、常に自分の味方でいることが大切で、
今の自分も、過去の自分も、全力で自分を助けます。
そしてもっと自分自身に感謝をすると、いいように思います。
未来の自分を助ける、そういう気持ちでモノの居場所を定め、部屋に散乱しているモノを一つ一つ戻してみるのがいいかも知れません。