「片づけ」。 何をするにも、「私にはできる」と思うことが大切。 自信を奪われていた自分に気づく。
片づけに限らないかもしれませんが、何をするにも大切なことがあると思います。
それは、「私には出来る」という自信。
オバマ大統領の勝利宣言「Yes, we can」(私達にはできる)は、有名ですが、多分そんな感じで、
何かをするにはまず、「私にはできる」と思うこと。
これ、「私達」ではなく、「私」になるのですが、
何かをするときに、する前に「私には出来る」と思いがあるのか、
ないのかで、達成率は違ってくると思います。
そいういう強い意志や、気持ちは必要かも知れません。
斎藤一人さん(納税額日本一の商人の方)のCDで、
人は生まれたときには自信を持っている。
「自信のない赤ちゃんって、いないよね。」
でも、今自信がないということは、「誰かがその自信、奪ったんだよね」。
というような話があったのですが、
人に言うことを聞かせるには、まず、その人の持っている「自信を奪う」。
あからさまに敵の顔をせず、「あなたのため」といいながら、本人には「出来ないこと」を教えたり、
「あなたはまだまだ、私の言うことをききなさい」、と教える。
また、親が自分の言うことを聞かせるためや、生意気になって扱いづらくならないようにするため、
子供にはまだ、判断が甘い、など、「上手くできなかったこと」を教えたりする。
そいういうことがあるそうです。
自信満々な若者を、大人はくじこうとするもの。
たいした害のない自信でも、
「自信過剰だ。 まだまだなことを教えなければ」などと、いの一番に思われたりします。
そんなこと、わざわざ教える必要あるのか、と思うのですが、
人って意外と、上に行こうとするモノを止める傾向がある。
たしかに調子に乗ったら大どんでん返しが待っていますし、居丈高になれば挫折が待っていますが、
でも逆に、自信を奪われすぎて、自分を活かせない人が増えるのは、
どうなのか、と思います。
本当は片づけたいと思っている人で、さらに、現実に自分には片づけが出来ない、と自信を失っている人でも、
実は、「できる」人は多くいます。
そう思い込まされているだけ。
「自分にもできる」と信じることができないだけ。
ということが多いようです。
「私にはできる」と何度も独りで呟くように繰り返し言って、
奪われてしまった自信を、自分で取り戻してみるのもいいかもしれません。
きっとその人の思う以上に出来る、
もしかしたら、「あなたはまだまだ」と言っていた人以上にできることに気付く。
たとえそれが一つでも、
それを繰り返していくことで自信になり、もっともっと色々なことが出来るようになっていく、
そうなるといいと思います。