もう探し物をしない生活。 なるべく短期記憶に、頼らず「あれ、どこだったっけ?」を回避する。
片づける時は、「ここに片づける」というハッキリした自覚があるので、
その後、片づけた場所を忘れる、とは考えられない気がします。
でも、なんと私はこれを、忘れる才能がある。(笑)
探すときは、しまったのが他人のように、「どこだったっけ?」。
(危険。(笑))
実は、カリスマ主婦さんの本で、「片づけたモノを探すときは、他人」というような言葉を読んだことがあるのですが、
片づけたのが自分でも、それを出そうと探すときは、多くの人が、まるで他人がしまったかのように忘れてしまっているということだそうです。
(主婦の友の会にも、そういう言葉があり、ラベルを張ったり、見える化して片づけると聞いたことがありました。)
(私だけじゃなかったことに、ホッとする。(笑))
そう考えてみると、
私が大掃除ならぬ「大片づけ」をした後には、必ずのように、
「あれない、これない」「どこにやったの?」の嵐がやってくる、という時代がありました。
なぜ、「嵐」かというと、
探すのが自分一人ではなく、
家族がそれぞれ、定位置に入っていないモノを必要になるたびに探し始め、
「お母さん、アレどこにあるの?」と聞きまくるので、
片づけた私に質問が集中し、質問の嵐。
そして、それにパッパと答えられない私がいる、という感じです。
(お母さんお願い。もう、片づけないで、てきな。(笑))
でもこの経験があったから、気づけたこと。
「片づけは、短期記憶に頼らない工夫が必要」でした。
まず、今決まっている定位置があるなら、そこから大きく動かさない。
そのモノを探すときに、自分が一番最初に見る場所に置いておく。
つまり、新しい記憶に頼って、覚えようとするのではなく、
今、頭の中にある記憶をなるべく使い、
まず、そこに片づける(定位置に戻す)ことからスタート。
その定位置に戻す、ということが出来るようになってから、次(動線を考えた場所に動かすなど定位置を動かす)に進みます。
(定位置に戻すための方法は、コチラ。『片づけの基本は、片づけるより、散らかさない。 散らかりの蛇口を閉める 魔法の呪文。』)
もし、新しい置き場所にモノを移動するときは、自分が今まで「あそこにある」というイメージの場所から動かすので、新しい知識を一つ入れて覚える、という覚悟をして動かし、
ラベルを貼ったり、
連想ゲームのように、一つのものを探せば、一緒に使う他のものも見つかるよう、同じ系統のものを揃えた置き場所にする。
(コチラの記事。『「お片づけ上手さん」のお片づけ。 お片づけってこういうことなのだ、と学んだ、上手なしまいかた。 芋づる収納。』。)
新しい置き場所の記憶が定着するように一つずつ慎重に動かすようにする。 などの工夫をすること。
「しまいこんで、なくす」という可能性のある場所には、決してしまわず、
自分が、最初に探す場所にしまうこと。
もう、決して探し物はしない、と思って、
自分の記憶を過信せず、
今、頭の中にある地図を利用して、そこにキチンと戻す。
そこがモノであふれていたら、収納できるように、使っていないモノを捨てる。
そういう順番で、モノを捨て、収納し、
それでも、いつも散らかるモノがあるなら、そこがしまいづらい出しづらい場所であることを自覚。
そこから、どこに置けば散らからないのか? と、改めて考え、動線を考えた場所に移動してみる
(「動線を考えて、いつもお風呂の前に着替えをするから、脱衣所に下着を置いた」など、
なぜ動かしたか? という理由を自分の中で分かっていると、新しい場所も記憶しやすい)といいと思います。