いつも片づいている家、の片づけは、「ついで」にする『ついで家事』。 毎日「片づけなきゃ」と思っている時点でこなせない可能性が高い。
お客さんの来るときにだけキレイになる部屋。
突然のお客さんに、「どうぞ入って~」と、心から言えない。
そんな家事を変える。
ただ、やり方を覚えればいいと思います。
一人暮らしの家はいつも片づいていたという主人の片づけは、
使ったものを元に戻す、
という単純な作業、そして、
洗濯ものを取り込む、その場所に、収納場所(下着を入れておく)を設置する。
(下着、一週間分の枚数を決めて買い、洗ったら一番後ろに入れ、順番に使えるように並んで入っていたそうです。)
なんというか、主人の片づけって、大変じゃない。 ラク。
ラクなのに、いつもキレイに片づいている感じ。
片づけって、そもそも出来る人はあまり「しない」。
しなくても自然に片づく仕組みを作っている、と思います。
そう思って、目の前にあるモノ、
何かでていると、それを所定の場所に戻す。
持ったその時、目の前にモノがあり一瞬で取れるとき、に片づける。
そうすると、本当にどんどん片づいていく家。
片づけってわざわざすると大変な作業ですが、
しなくてもいいように、もともと片づけなくてもいいようにする、
何かをするとき「ついでに片づける」、これがラクなんだ、と思います。
家事も生活もどんどんラクになるので、手じかにあるもの、触れる範囲から、
目に入るたび、また、自分が部屋を移動するときにただそのモノを持って、どんどん捨てたり片づけていく、ついで家事。
毎日毎日、片づけなきゃ、と思いながら、一向に片づかない日々。
大変だと思います。
(エンドレスで続く修行のような感じ。(笑))
片づけってとにかく真面目に働く、ということだけではなく、
「どうせしなければならない」、という覚悟が必要。
その覚悟を決めたら、今してしまおう、と常に思え、ついでに手が動く。
人がやってくれる、いつかやろう、
と、どこか人まかせ、後まかせでは片づけるモノはたまっていく一方です。
(人がやってくれる、後の自分がやってくれる、と責任逃れするから)
あくまでも、自分がこの仕事(片づけ)をするんだ、という覚悟があると、
ついでに、自然に片づいていく部分も大きいように思います。