ズボラ主婦卒業。 片づかないのは、「敵」がいないから? 自分が「どうなりたいか」を考える。
片づけの残る部屋に座ってるとき、
片づけたいな、と思いつつ、重い腰が上がりにくいということは、皆あると思いますが、
でも、そこで動ける人と動けない人に分かれます。
その違いに注目してみると、
動ける人は、座っていたいという気持ちよりも、
片づいていないことのほうが、嫌。
ここで、一つあえて「敵」を想定してみると、
もし、できないことをバカにしようと狙っている、存在があったら、
もうそれは、即効、片づけたりしませんか?
本妻と愛人が離れで暮らしている家、みたいな、
むか~しの大屋敷でも、
多分どちらもキレイにしてたろうな~、という気がするんですよね。
(想像力豊か過ぎ?)
(実際に、見たことありませんが。(笑))
その部屋を見て、バカにしたり、
それを吹聴して楽しむような敵がいたら、
多分たいていの人は片づける。
ライバルにも、負けたくないと思う。
以前、新聞で、
結婚した朝、六時から掃除を始めたら、
翌日、お義母さんが五時半から掃除をしていて、
五時十五分から始めるようにしたら、
翌日、お義母さんが、五時から掃除をするようになり、
互いにどんどん早くなっていった、
みたいな記事を読んだことがあります。
ちょっとマンガみたいですが、人ってそういうところがあるのかも。
これ相手がいないと、究極、「しなかったり」するわけですが。
(今日はお休み、とか。(笑))
こう考えると、片づけたいな~と思いながら、部屋を散らかしていられること自体、
優しく、幸せな環境、ということが多いかと思うのですが、
片づけられるようになるのは、
自分がどうなりたいか、どういう人間でありたいかをイメージするのも大切かもしれません。
また、散らかしたまま座ってしまった時は、
立ち上がるのが大変なので、座らない、という選択をすることも大切です。
(思いだけでなく、ノウハウ(座らないこと)も大切。)
なりたい自分に近づこうとする、
もしくはやはり、敵を想定する。(笑)
そう考えると、敵(ライバル)って必要なものなのかも。
自分がどういう人になりたいか、人生をどういうものにしたいか、
自分がどうなりたいか考えて、
どう行動するかを、自分の中で問いかける。
現実に片づける前に、
まず「想念の中で、どうするか」が、大切で、
人は無意識レベルから、なりたい自分になっていくものなのかも。
人に、バカにされたくなければ、
人の見ている人の前だけではなく、
見ていないところの生活が、大きいので、
そこからキチンとしていくことで、なりたい自分に近づいていくように思います。