仕事をしているつもりで仕事をしていない。 「パソコンの前に座って、どのぐらい有意義に過ごしているのか」考える。
「忙しくて、時間がない」、という方は多いのだそうです。
「でも、時間ってあるんですよ」、とスーパー主婦、時間の達人の井出典子さんはおっしゃっていました。
私も、予定が入ると、
「忙しいのに行く」みたいな気持ちになります。
その時間、何にもできないな。 みたいな。
でも、じゃ、「その予定が入らなかったら、さぞかしお家で仕事が進んで有意義に過ごせるんでしょう」と、言われると、
そうでもない。(笑)
で、考えたら、その時間、
私は確かに、何かに向き合っている。
パソコンに向き合っていたり、洗濯物の前に座っていたり…。
でも、仕事をしているか、というと、そうでもない。
例えば、私はパソコンの読み込みがまだ遅かった時代(今は読み込みが早いので効果がうすれましたが)、この「読み込み時間」に「部屋の片づける」、と決めると、
パソコン部屋は、驚くほどキレイにあっという間に片づいてきました。
もうここに、色々な物を持ち込んで片づけよう、なんて思うほど、片づく。(笑)
結局、何かに向き合って、気持ちの上では仕事をしているようなのですが、
実際には、「仕事をしているようで、していない時間」が長い。
「向き合っているだけの時間」、
「何となく考えているように思う時間」、
その間、
私の、現実の仕事時計は進んでいなくて、
「しているつもりで、していない」と、いう時間が流れている。
自分の過ごす時間の「空白」に、気が付く。
(今ごろ?ってこともありますが。(笑))
そんな時は、なんか、落とし物を発見してる気分ですが、
チルチルミチルじゃないけど、
私の通った道に、細切れの空白の時間が点々と落とされて、
落とされたとたん、小鳥に食べられて消えてしまう。
でもそれを「落としている」ということ自体に、「気づいていない」自分を発見! みたいな。
きっと本当に、探せば時間ってあるのかも。
自分の持っている細切れの時間、
自分の落としてきた細切れの時間、に気づいて、
これからはもう落とさないように、その時間の空白を自分の意思で埋めようとすることが出来たら、
多分時間は、もっと有意義に、自由に過ごせるようになるのではないか、と思いました。